大判例

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大阪高等裁判所 昭和53年(ラ)447号 決定

抗告人

甲野花子

抗告人

甲野四郎

抗告人

甲野太一郎

右抗告人ら代理人

門司恵行

被相続人

甲野太吉

(昭和五一年一月三一日死亡)

主文

一、原審判を取消す。

二、本件を大阪家庭裁判所へ差戻す。

理由

第一本件抗告の趣旨と理由は別紙のとおりである。

第二当裁判所の判断

一〈証拠〉によると、次の各事実が認められる。

(1)  抗告人甲野花子は被相続人甲野太吉の妻、抗告人甲野太一郎、同甲野四郎はいずれも同人の子であつて、相続人である。

(2)  昭和四年頃抗告人花子は大阪市で当時雑役をしていた被相続人と見合結婚し、同九年八月一月婚姻の届出をした。

(3)  昭和六年二月九日、長男である抗告人太一郎が出生。

(4)  昭和七年頃被相続人は建築の仕事を始めたが、同人は結婚以来十分な生活費を花子に渡さないので、同女は持参金を取崩して生活費に充てていた。

(5)  昭和九年、被相続人、花子、太一郎は一家を挙げて満州へ渡り、被相続人は建築業、花子は縫物の仕事をしていた。

(6)  昭和二一年八月一日抗告人四郎が出生。

(7)  昭和二一年一〇月一四日右四名は本籍地へ引揚げ、暫く農業に従事していた。

(8)  昭和三三年頃家族全員で大阪に転居し、被相続人が建築業を始め、太一郎、四郎はこれを手伝い、被相続人はこれで得た収益金で連棟式のアパート、マンシヨンなどを自己名義で買受けたが、生活費として花子に渡したのは月額一、二万円程度に過ぎなかつた。

(9)  昭和四八年一二月頃、花子は被相続人の女性関係等のことで被相続人と口論となつたが、その挙句同人に頭を殴られたため、顔を脹らして当時肩書住居地に別居していた次男四郎のもとへ行き、爾後同女は被相続人が死亡するまで被相続人と別居していた。

(10)  昭和五〇年四月、それまで被相続人が引続き住んでいた家の二階の一部屋に居住していた太一郎は、被相続人から家を売るから出て行けといわれ、放り出されたため、止むなく奈良県五条市内に在るモーテルの管理人となつたが、その後肩書住居に移り雑役工として働いている。

なお、その当時被相続人は建築業をやめ、家賃収入とか不動産仲介などをして生活していたが、その後、家やアパートなど全部を売り払つて出奔し、抗告人らに対する音信が絶えた。

(11)  昭和五一年二月三日頃、突然千葉県柏警察署から、抗告人四郎方へ電話で被相続人が死亡した旨の連絡があつたので、同月四日抗告人三名は同警察署へ赴いたところ、同警察署係員から、被相続人が同月三日に死亡しているのを発見されたこと、遺体が既に火葬場に送られていることを聞いたので、火葬場に行き同人の遺骨を貰い受けたが、その際同警察署から金二万〇、四二三円の被相続人の所持金と、ほとんど無価物に近い着衣、財布などの雑品の引渡を受けたものの、その場で医院への治療費一万二、〇〇〇円、火葬料三万五、〇〇〇円の請求を受けたので、右被相続人の所持金に抗告人らの所持金を加えてこれを支払つた。

(12)  被相続人には、右所持金のほか全く相続財産(積極財産)がなく、抗告人らとしても相続のことなど全く念頭においていなかつたところ、被相続人死亡後約三年六カ月経過した昭和五三年七月二四日、大阪信用保証協会から、同協会が被相続人に対して有する求償債権を太吉の相続人たる抗告人らに対し請求する旨の訴を提起され、その訴状が同年八月初頃抗告人らに送達されるに及び、はじめて被相続人には総額一四五万七、八六九円の相続債務が存在することを知つた。

(13)  同年九月八日抗告人らは原裁判所に相続放棄申述書を提出したが、申述期間を徒過していることを理由として受理されなかつた。

二(一)  従来、民法九一五条一項の「自己のために相続の開始があつたことを知つた時」とは、被相続人死亡の事実のほか、これにより自己が相続人になることを覚知したことを要し、かつ、これをもつて足りるとし(大判大一五・八・三民集五巻六七九頁参照)、この他に遺産の存否や範囲を確知する必要はないし、先順位相続人の相続放棄、死亡など法律上事実上の複雑な事情が介在する場合は格別、本件のように被相続人の第一順位の相続人である妻子(抗告人ら)のみが被相続人死亡の事実を覚知したような場合には、右覚知した時をもつて同条項の「自己のために相続の開始があつたことを知つた時」にあたると推認するとの解釈ないし取扱が一般になされてきており、しかもそれは相続財産として積極財産が皆無で消極財産たる債務のみが存在する場合においても異なるところがないとされている。原審判も前認定の事実に照らし、このような従来の解釈、取扱例にしたがつて、本件相続放棄の申述を却下したものといえる。

そして、右のような従来の解釈、取扱例があつたために、被相続人に対する債権者側において、被相続人の死亡後相続人の熟慮期間として定められている三カ月の期間内に、相続人に対し全く相続債務が存在する事実を知らせず、熟慮期間が経過するのを待つて突如相続人に対し相続債務の支払を求めるという巧妙な手段をとる事例が続出し、これがために相続の放棄をするすべを失い、父又は夫の遺した多額の債務に泣く数多くの妻子が居ることは、いまや公知の事実といえよう。

しかし、このような事態は、個人の尊厳とその意思の尊重を基調とする現行相続法の理想に悖ること甚しく、個人の幸福を重視する現代の社会通念に照らしても到底これを黙過することができないものである。

(二)  そこで、当裁判所は、相続の根拠、債務の性質、相続放棄制度及び単純承認擬制の趣旨などにつき、次のとおり再検討を加え、相続財産として積極財産が皆無で消極財産のみが残存する場合に対処するため、前示従来の解釈、取扱を変更することとし、民法九一五条一項の「相続の開始があつたことを知つた時」といわんがためには、相続人において、被相続人の死亡の事実を知り、かつ自己が相続人であることを知つたことに加えて、少なくとも積極財産の一部または消極財産の存在を確知することを要すると解すべきであると考える。

(三)  相続を認める現行法上の根拠は、古い「家」制度の維持にあるのではなく、主として遺産の中にある相続人の潜在的持分財産の払い戻しないし遺族の生活保障と被相続人の意思にある。したがつて、積極財産を相続人が承継することは潜在持分財産の払い戻しにも当り、生活保障に有益であつて、被相続人の意思にも副うといえるけれども、債務(消極財産)を相続により承継させることは、もとより財産の払い戻しではないし、通常被相続人の意思にも反し、相続人の生活保障にとつても有害無益である。

(四)  そこで、相続による遺産債務承継の根拠と性質については別個の観点からさらに考察する必要がある。

一般に、遺産債務承継の根拠は、債務者たる被相続人の死亡による債権者の権利の消滅を防止するとともに権利の法的安定を図るにあるといわれている。しかしそれには自ら限定があるのであつて、いかに権利を安定させて債権者の保護を図るといつても、過大な債務のみを相続人に無制限に押しつけるのはこれによつて相続人の生活をおびやかし、元来被相続人自らがその責任において負担し、決済すべき債務であるのにかかわらず、これを相続人の意思に反してまで相続人にその履行を強制することとなるのであつて、個人意思の尊重を基調とする現行相続法の精神に悖るものである。

民法九二〇条が遺産債務の承継を認めているのは、相続人が、その自発的意思に基づいて遺産債務を承継する場合があることと、相続人が被相続人の積極財産のみを承継して債務を承継しないことを許しては公平を失し、一般債権の共同担保となつている一般財産としての積極財産のみを債権者から取上げることになつて債権者を著るしく害するにいたるからにほかならない。元来、遺産の中に積極財産が存在する場合には、遺産債務はそれに附随する負担ないし消極的要素たる法的性質を有し、これを切り離して相続財産が存在するものではないから、積極財産の承継を望むものは、それに附着した消極財産をも承継しなければならないのであつて、この場合には右の性質に照らし民法九一五条一項の「相続の開始があつたことを知つた」というには必ずしも消極財産の存在とその範囲を確知する必要がない。即ち、甘い汁を吸う者は、苦い汁をも受けねばならないのであり、これが遺産債務承継の主たる理由である。これに対し、遺産中に積極財産が皆無で債務のみが残存する場合には自らその事情を異にする。東洋には古来「父債子還」の思想もないではないが、これは古い家族制度に由来するものであつて、個人の尊厳を基調とする現行法とは相容れないものであり、被相続人の債務はあくまで被相続人の債務であり、相続人(妻、子ども)であるからといつて、これを当然に承継すべき理由は存しない。ただ、相続人が積極的に債務承継の意思を表明するときには、その意思を尊重して債務の承継を認めることは差支えないのであつて、遺産が債務のみで積極財産皆無の場合における債務承継の唯一の根拠はここに求めるほかないのである。

(五)  次に相続放棄制度について考察する。

古い「家」制度の維持のための相続法では、相続人は、たとえば、旧民法上の法定推定家督相続人のように己れを犠牲にしてでも債務を含めた相続を甘受しなければならず、相続の放棄は相続人の恣意にゆだれられないところであつた。しかし、古い「家」の観念が崩壊し、個人の尊厳とその意思の尊重を基盤とするに至つた現行相続法においては、人は己れの意思に反してまで義務を負わされることがなく、相続の放棄も相続人の自由であるとされ、民法九一五条はすべての相続人に相続の単純承認、限定承認、放棄を選択する自由を与えている。そして、相続の放棄は、初めから相続人とならなかつたものとすることによつて、債務超過ないし債務のみの相続によつて相続人が過大なしかも自ら関与しない債務を負うことによる不利益から相続人を保護しようとするものであり、相続人に認められた選択の自由ないし放棄の自由は相続人の基本的人権にも繋がる重要な事柄である。

元来、債権者は債務者である被相続人の一般財産を引当としてその債権の履行を強制し得るに過ぎないのであつて、それを超えて相続人自身の財産から満足を受けるというのは全くの僥倖といほかはない。そうであるからこそ、相続人の債権者において、相続人の固有財産と相続債務の混同を防止するため、民法九五〇条により相続人の財産の分離請求をすることが許されており、さらに、相続人が相続債務の債権者を害することを知つていたとしても、なお相続の放棄が許されるのであつて(最判昭四九・九・二〇民集二八巻六号一二〇二頁)、債権者保護に優先して相続放棄ないしその選択の自由を十分に確保する必要があり、これを実質上形骸化するような熟慮期間徒過についての安易な解釈、運用は許容できないところである。

なお、相続債権者は債務超過にある相続人に相続財産(積極財産)が相続されることによつて不利益を受けることもあるが、この場合には民法九四一条により相続財産を分離することができるのであつて、相続債権者の保護に欠けるところはない。

(六)  単純承認とその擬制の法的性質について検討する。

前示相続の根拠及び民法全編を通ずる個人の尊厳ないしその意思の尊重の要請並びに民法九二〇条の「単純承認をしたとき」との文言に照らすと、単純承認は相続人の自発的意思表示に基づく効果であり、同法九二一条による単純承認の擬制も相続人の意思を擬制する趣旨であると解すべきである。したがつて、とくに遺産が債務のみの場合には相続人が通常この債務を承継してその支払を引受ける自発的意思を有することは稀なことであるから、その債務承継の意思の認定ないし擬制を行なうについては、特に慎重でなければならない。

(七) したがつて、本件のように行方不明であつた被相続人が遠隔地で死去したことを所轄警察署から通知され、取り急ぎ同署に赴いた抗告人ら妻、子が、同署から戸籍法九二条二項、死体取扱規則(公安委員会規則四号)八条に基づき、被相続人の着衣、身回り品の引取を求められ、前認定一、(11)のとおり、やむなく殆んど経済的価値のない財布などの雑品を引取り、なおその際被相続人の所持金二万〇四三二円の引渡を受けたけれども、右のような些少の金品をもつて相続財産(積極財産)とは社会通念上認めることができない(このような経済的価値が皆無に等しい身回り品や火葬費用等に支払われるべき僅かな所持金は、同法八九七条所定の祭祀供用物の承継ないしこれに準ずるものとして慣習によつて処理すれば足りるものであるから、これをもつて、財産相続の帰趨を決すべきものではない)。のみならず、抗告人らは右所持金に自己の所持金を加えた金員をもつて、前示のとおり遺族として当然なすべき被相続人の火葬費用ならびに治療費残額の支払に充てたのは、人倫と道義上必然の行為であり、公平ないし信義則上やむを得ない事情に由来するものであつて、これをもつて、相続人が相続財産の存在を知つたとか、債務承継の意思を明確に表明したものとはいえないし、民法九二一条一号所定の「相続財産の一部を処分した」場合に該るものともいえないのであつて、右のような事実によつて抗告人が相続の単純承認をしたものと擬制することはできない。

(八)  もつとも右のように解した場合、相続債務の債権者が、熟慮期間内は相続人たるべく予定されている者に対し、事実上相続債務の支払を求め得ない点からみて、債権者に酷ではないかという見方があるかも知れない。しかしこの場合、債権者は相続開始の後のできるだけ早い機会に、相続人となるべき者に対し、相続債務の存在を通知することができるし、またこの通知をすることこそ信義則に合致するものであり、右通知を受けてから三カ月の熟慮期間内に相続放棄の申述をしない相続人となるべき者については、民法九二一条二号による単純承認があつたものとみなされるのであるから、前示解釈を採ることによつて債権者の保護に欠けるという非難はあたらない。

三前認定一の各事実に照らすと、本件相続は、相続財産として積極的財産が皆無で、消極財産たる債務のみが存在する場合であるところ、相続人である抗告人らは、被相続人の死亡を昭和五一年二月三日に知つたけれども、その当時相続財産として積極財産はもとよりのこと消極財産たる債務の存在することを全く知らず、したがつて債務承継の意思を有していなかつたものであつて、抗告人らは昭和五三年八月初頃前示債務の支払を請求する訴状の送達を受けるに及び、始めて多額の相続債務が存在することを知つたので、同年九月八日原裁判所に相続放棄の申述書を提出したことが明らかである。そうすると、本件において抗告人らが民法九一五条一項の「自己のために相続の開始があつたことを知つた時」は、右の訴状の送達を受けた昭和五三年八月初頃であるといわねばならないから、その時から熟慮期間たる三箇月以内の同年九月八日に、原裁判所に対してした抗告人らの本件相続放棄の申述はこれを受理すべきものである。

四よつて、抗告人らの相続放棄の申述を熟慮期間徒過後の不適法な申述であるとして却下した原審判は失当であるから、これを取消し、本件相続放棄の申述を受理させるため、本件を原裁判所に差戻すこととし、主文のとおり決定する。

(下出義明 村上博巳 吉川義春)

〔抗告の趣旨〕

原審判を取り消す。

本件を大阪家庭裁判所に差戻す。

との裁判を求める。

〔抗告の理由〕

一、原審判は各申述人の相続放棄の期間は、各申述人が被相続人の死亡を知つた昭和五一年二月三日の翌日である同月四日から起算して三ケ月以内である同年五月三日までであり右期間経過後である昭和五三年九月八日になした本件各申述は不適法であるとして、これを却下した。

二、しかしながら各抗告人らは、いずれも原審で申述したとおりの事情で昭和五三年八月下旬に至り、始めて、自己らのために相続開始があつたことを知つたのである。そして民法第九一五条にいう「相続人が自己のために相続開始があつたことを知つた時」とは、単に、相続開始原因である被相続人死亡の事実を知つた時ではなく、右原因事実の発生を知り且つ之か為に自己が相続人となつたこと、換言すれば相続の法律的効果が自己に及ぶことを覚知した時を指称する。(大判、大一五、八、三。福岡高裁、昭二三、一一、二九。大阪高裁、昭和四一、一二、二六)

原審判は法令の解釈を誤つたものといわざるを得ない。

三、なお、原審判は、理由の中で、申述の要旨として申述人らは被相続人の死亡を知つたが「相続の開始及び放棄について無知であつたため何らの手続をとることなく経過し」「訴状が送達せられ、被相続人の債務超過の事実を知つたので」云々と述べているが、右は抗告人らの申述の趣旨を十分に汲みとつたものではない。すなわち抗告人らは被相続人の死亡によつては、凡そ相続など起り得ぬと考えていたのであり当時超過の事実を知つたとしても、抗告人らには、責任のないものと考え、放置していたであろうと思われる事情にあつたのである。

「被相続人に積極的、消極的遺産がないものと考え」「相続の承認、放棄等について特に考えることもなく年月を経過した」云々の説示についても、前同様の反ばくをせざるを得ない。

四、さらに原審判がその理由中に、わざわざ括孤して、(なお申述人らは相続の開始の事実を知らなかつたと述べるけれども、被相続人の死亡の事実を認識している以上、現行民法第五編が昭和二三年一月一日以降施行されて国民に充分知悉される年月を経ていること、当事者の中には高等学校を卒業している者がいることから、妻と子である申述人らが相続の開始を知つたものと解するのが常識上妥当であることから、右主張は理由がない。)と説示するのは如何なる意味であろうか。相続の開始を知つたものと推認するとの趣旨であるならば抗告人らの申述について審究することなく、独断したものというほかはない。

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